【感想】剣の視点から読み解く『伊東一刀斎』の世界

生活

伊東一刀斎の本を読みました。戸部新十郎の作品で光文社時代小説文庫です。これは、剣道に応用できるのでしょうか?考察してみました。

 




 

伊東一刀斎の上巻

 
ある時塚原卜伝は、野太い声を持つ、目をしっかりと見開いた背丈が高くたくましい少年に出会います。

その少年は塚原卜伝に、自分の船に乗らないかと誘います。

まだえくぼが可愛い少年です。船に乗る前に、浪人ものが襲い掛かってきます。

伊東一刀斎の子どものころで名前を夜叉丸といいます。

 

少年の喧嘩に興味を持った卜伝は、彼に自分の剣の技を披露します。

 

まず最初は塚原卜伝の「一ノ太刀」創始のうちの一法

右足を引く

左肩を突き出す

右前の斜に構える

 

  • 前にかかる
  • 一文字に構える
  • 敵の打つところを引く
  • 引いたあとを一文字に打つ

 

もう一つ、剣のポイントを説明しています。

お互いの間合いが一足一刀の間合いの場合、自分が打てるところでは、相手に切られてしまいます。ですが、切られても良いという覚悟さえあれば、敵は打ってこないで自分がかかっていける・・・・・・。

というものです。防具を付けているのなら少しは分かりますが、生身に剣を受けるのならさぞかし怖いことでしょう。

 

 夜叉丸にはうすうすわかっている。機を捉え、相手の調子・拍子に合わせ、そして打つ。それが相手にとって、眼にもとまらぬ早業に移るに違いないのである。

『伊東一刀斎 上』戸部新十郎 著 P.125 より

 

そして、甚四郎という人に会った時には、

「足の裏で物を見るように」と教えられます。そして山を駆け回るようになります。

そして、足を鍛えた後に、ある人に「腕を上げた」「足を見ればわかる」と言われます。

剣の稽古には足を鍛えることが不可欠なようです。

 

 

伊東一刀斎の中巻

 
中巻では、鐘捲自斎(かねまきじさい)に弟子入りをします。自斎が会得できなかった「無想剣」を弥五郎(その時の伊東一刀斎の名前)に託します。

「打つ心なく、受ける心なく、無為にして勝つ剣」

これを修行していきます。

次に弥五郎(伊東一刀斎)は伊東の沖で蹴鞠の中に兵法を見て学びます。海の上での蹴鞠修業は

困難を極めますが励みます。この続きは船が難破してしまうことで次の展開をみせます。

弥五郎(伊藤一刀斎)が初めて弟子を取った形になったときに、一言賜りたい弟子に対して、自分の拙い経験を話します。

 それはとりもなおさず、おのれの兵法を確かめることにほかならない。

「勝ちは敵にあり。われになし」

これだけ言った。

二つの意味がある。自ら誇ってはならないという心法。いま一つは、敵の働きに応じて勝つという技法である。

じっさい、弥五郎はそうやって、幾度かの立会いに勝利を占めてきた。これはまた、彼の祖法といってもいい”戸田流”の、

<平法ノ本伝>

とも一致するものだった。

『伊東一刀斎 中』戸部新十郎 著 P.269-270 より

 

この中巻では、弥五郎(伊藤一刀斎)は、「無想剣」に試行錯誤しています。夢では一瞬影のよぎりを切ったかのよう思えてもまだ会得はしていませんでした。そんな時に、「唐十官(とうじっかん)」の演武をみる機会を得るのですが、彼の中に<無力にして勝つ方法>を見出します。そして、そこで蹴鞠の技が試せるのではないかと閃いたのです。相手の動に対して、蹴鞠の足さばきの静で闘います。

快勝した弥五郎(伊東一刀斎)は、天地和合の極意「無想剣」を会得したのでした。

 

 

ずっと探していた父にようやく会えます。

無想剣について尋ねると、

「天に在り」

と、そいつがいった。

「陽光に闇を見よ。星の音に耳を傾けよ」

『伊東一刀斎 中巻』戸部新十郎 著 P.310 より

 

父は、背を向けた息子に、いきなり切りかかります。

「無想剣」の技が中巻のラストを飾ります。

 




 

伊東一刀斎 下巻

 

ここで弥五郎(伊東一刀斎)は、女の業を抱えます。

「捨て去ること」

がここでの課題になります。

「捨て去ること」

「すると、どうなる」

「なんの思案もなく、自然に足が出、手が出る。それが真の兵法と申すものだ」

『伊東一刀斎 下』戸部新十郎 著 p.128より

 

 

【感想】剣の視点から読み解く『伊東一刀斎』の世界のまとめ

 

佐々木小次郎との対決って歴史的にどうなんだろうかと考えたり、疑問もいくつかはあります。しかし、小説として読むと、最後の最後まで面白いものでありました。剣の技をみても、今の剣道に通ずるものが多く今後の参考にさせて頂こうとおもいます。強すぎる伊東一刀斎です。かかってくる影を、いつの間にか抜いていつの間にか刀がさやに戻っている。

そして背後でばさりと倒れる。

兵法の世界観は理解しがたいものでありますが、彼に切られた人たちは、無念でこそあれ、苦しまなかっただろうと推察できます。広く名を残している歴史上の人物が史実にまつわることが少ないことがこの小説に花を持たせています。

 


 
日本一の兵法者?「伊東一刀斎 」
 

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