『伊東一刀斎』戸部新十郎著の感想|剣道六段が読み解く無想剣と剣道の共通点

読書感想
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剣豪小説が好きな方なら、一度は名前を聞いたことがある人物が
伊東一刀斎です。

戸部新十郎の小説『伊東一刀斎』(光文社時代小説文庫)は、
戦国時代を代表する剣豪の修行と兵法の境地を描いた作品です。

私は現在 剣道六段です。
そして七段審査の合格率は 約23% と言われています。

この高い壁を越えるためには、単なる技術だけではなく、
剣の本質を理解する必要があると感じています。

そのためか、
剣豪の兵法や思想が描かれた本を興味を持って読みました。

今回読んだ『伊東一刀斎』には、
現代の剣道にも通じる考え方が描かれていました。

この記事では

  • 小説『伊東一刀斎』の見どころ
  • 作中に登場する兵法の考え方
  • 剣道との共通点

を、剣道六段の視点から考察してみたいと思います。

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上巻|塚原卜伝との出会いと剣の基礎

物語は、少年・夜叉丸(後の伊東一刀斎)が、剣聖と呼ばれる 塚原卜伝と出会う場面から始まります。

そこで夜叉丸は、卜伝が極めた新当流の奥義「一ノ太刀」の片鱗(あるいはその圧倒的な境地)に触れることになります。

剣法者を志す原動力
当時の夜叉丸にとって、卜伝の「一ノ太刀」は、それまで自分が持っていた荒削りな技術とは次元の違う「剣の真理」として映りました。

この出会いによって夜叉丸は、単に敵を倒すための技術ではなく、真の「兵法者(剣豪)」としての道を志し、北国(加賀)へと旅立つ決意を固めます。

「一ノ太刀」の構えとは

  1. 右足を引く
  2. 左肩を突き出す
  3. 右前の斜に構える
  4. 前にかかる

という理合です。

一般的に、卜伝の「一ノ太刀」に至る際の構えは「左上段」に取られることが多いです。

 

お互いが一足一刀の間合いにいる場合、自分が打てるところでは相手にも切られる。
だが切られてもよい覚悟があれば、敵は打てなくなる。

防具を付けていても打たれるのは怖いと思ってしまいます。

間合いと覚悟。

この二つが剣の本質であることを示しているように感じました。

 夜叉丸にはうすうすわかっている。機を捉え、相手の調子・拍子に合わせ、そして打つ。それが相手にとって、眼にもとまらぬ早業に移るに違いないのである。

『伊東一刀斎 上』戸部新十郎 著 P.125 より

また夜叉丸は「足の裏で物を見るように」
という教えを受け、山を駆け回って足を鍛えます。

剣術の修行でまず鍛えるのが 足 という点も、現代の剣道と共通しています。

実際、剣道でも「剣道は足で打つ」
と言われるほど足さばきが重要です。

伊東一刀斎の中巻|無想剣への修行

中巻では、夜叉丸は 鐘捲自斎(かねまきじさい) に弟子入りします。

自斎が会得できなかった究極の兵法が「無想剣」です。
自斎が会得できなかった「無想剣」を弥五郎(その時の伊東一刀斎の名前)に託します。

作中では次のように表現されています。

「打つ心なく、受ける心なく、無為にして勝つ剣」

伊東一刀斎はこの境地を求めて修行を重ねますが、簡単には到達できません。

夢の中で影を切ったように思えても、それはまだ真の無想剣ではありません。

そんな時、伊東一刀斎は唐十官の演武を見てヒントを得ます。

そこで蹴鞠の技が試せるのではないかと閃いたのです。

そこから彼は

蹴鞠の足さばき

に兵法の理を見出します。

 

相手の「動」に対して
自分は「静」で対応する。

この理合が合致したとき、弥五郎はついに

天地和合の剣「無想剣」

を会得します。

 

伊藤一刀斎が初めて弟子を取った形になったときに、
一言、教えを乞いたい弟子に対して、自分の拙い経験を話します。

 それはとりもなおさず、おのれの兵法を確かめることにほかならない。

「勝ちは敵にあり。われになし」

これだけ言った。

二つの意味がある。自ら誇ってはならないという心法。いま一つは、敵の働きに応じて勝つという技法である。

じっさい、弥五郎はそうやって、幾度かの立会いに勝利を占めてきた。これはまた、彼の祖法といってもいい”戸田流”の、

<平法ノ本伝>

とも一致するものだった。

『伊東一刀斎 中』戸部新十郎 著 P.269-270 より

 

この中巻では、弥五郎(伊藤一刀斎)は、「無想剣」に試行錯誤しています。

夢では一瞬、会得したかのよう思えても

まだ会得はしていませんでした。

そんな時に、「唐十官(とうじっかん)」の演武をみる機会を得るのですが、彼の中に<無力にして勝つ方法>を見出します。
そして、そこで蹴鞠の技が試せるのではないかと閃いたのです。
相手の動に対して、蹴鞠の足さばきの静で闘います。

そこで快勝した弥五郎(伊東一刀斎)は、
天地和合の極意、「無想剣」を会得したのでした。

その後

ずっと探していた父にようやく会えます。

父に無想剣について尋ねると、

「天に在り」

と、そいつがいった。

「陽光に闇を見よ。星の音に耳を傾けよ」

『伊東一刀斎 中巻』戸部新十郎 著 P.310 より

 

父は、背を向けた息子に、いきなり切りかかります。

「無想剣」の技が中巻のラストを飾ります。

💡豆知識
現代の「一刀流」の伝書や歴史資料では、「無想剣」と記されるのが一般的です。
しかし、一刀斎の伝説が「夢の中での開眼」から始まっているため、物語としては「夢想」の字の方がロマンがあって好まれる傾向にあります。

戸田流の<平法ノ本伝>とは?

戸部新十郎の『伊東一刀斎』や、その背景にある剣術史において、
「戸田流(とだりゅう)」の「平法ノ本伝(へいほうのほんでん)」は、

主人公・夜叉丸(一刀斎)が自らの剣を形作る上で極めて重要な役割を果たす「理論」と「技術」の根幹です。

なぜ「兵法」ではなく「平法」なのか、その深い意味について解説します。

1. 「平法(へいほう)」の文字が持つ意味

一般的に「へいほう」は「兵法」と書きますが、戸田流やそこから派生した流派ではあえて「平法」の字を当てることがあります。
これには二つの哲学的な意味が込められています。

  • 「平」= 平常心: 戦いという異常事態においても、日常と変わらない「平常の心」で臨むこと。

  • 「平」= 平らげる: 敵の乱れを鎮め、世の中を「平和(平ら)」にするための技であること。

2. <本伝>が指す具体的な内容

戸田流(富田流の流れを汲む)における「本伝」とは、小太刀術を中核とした「理(ことわり)」の伝承を指します。

  • 最短距離の理: 相手が長い刀(大刀)で振りかぶる隙に、懐へ飛び込み、最短距離で急所を制する。
  • 身の交わし(体捌き): 相手の力に逆らわず、水が流れるように攻撃をかわしながら、一瞬の隙に自分の刃を置く技術。
  • 「一」への集約: 多くの技を覚えることよりも、あらゆる状況に対応できる「たった一つの絶対的な理」を掴むことを重視します。

3. 夜叉丸(一刀斎)との関わり

物語の中で、夜叉丸は北国の山中で成長し、富田勢源(とだせいげん)の流れを汲む剣法に触れます。

  • 一刀流の種: 夜叉丸が後に編み出す「一刀流」の「一」という概念は、この戸田流の「本伝(根本の理)」に大きな影響を受けています。

  • 実戦性と合理性: 塚原卜伝の「一ノ太刀」が神秘的な「天」の剣だとすれば、戸田流の本伝は、より泥臭く、しかし徹底的に合理的な「人」の剣です。夜叉丸はこの両者を自分の中で融合させていきました。

「いかにして自分の心を平らかに保ち、敵の虚(すき)を突くか」という、極めて高度な心理戦の極意として描写されています。

まとめると: <平法ノ本伝>とは、「平常心を持って、最短・最速で敵を制する、戸田流の根本原理」のことです。

この「平法」の教えがあったからこそ、一刀斎は「一撃で決める(=一刀)」という思想をより確固たるものにできました。

伊東一刀斎 下巻|兵法の本質「捨て去ること」

ここで弥五郎(伊東一刀斎)は、女の業を抱えます。

捨て去ること

がここでの課題になります。

下巻では、兵法の本質が語られます。

それが「捨て去ること」です。

なんの思案もなく、自然に足が出、手が出る。
それが真の兵法。

これは剣道で言う「無心」に非常に近い境地です。

考えすぎると体は動きません。
しかし、積み重ねた稽古があれば自然に技が出ます。

この境地に近づくことこそ、剣の修行なのだと感じました。

「捨て去ること」

「すると、どうなる」

「なんの思案もなく、自然に足が出、手が出る。それが真の兵法と申すものだ」

『伊東一刀斎 下』戸部新十郎 著 p.128より

無想剣とは?作中に登場する兵法の考え方

「無想剣(むそうけん)」とは無我の境地や反射を表わす剣です。
「想(おも)いが無い」、つまり雑念を捨てた状態を指しています。

剣術の極意としては、
相手がどう打ってくるかと考えたり、「勝ちたい」と願ったりする「作為」を捨て、
体が勝手に反応して相手を斬る境地です。

伊東一刀斎と塚原卜伝の剣の違い

1. 塚原卜伝の「一ノ太刀」:【天の位】

卜伝の「一ノ太刀」は、いわば「太陽のような剣」です。

  • 圧倒的な先手: 相手が動く前に、あるいは動こうとした瞬間に、上段から絶対的な一撃を叩き込みます。

  • 理合(りあい): 迷いがない精神状態(不動心)がそのまま形になったもので、相手は「打たれる」と分かっていても防げない、あるいは構えを見ただけで戦意を喪失します。

  • 夜叉丸への影響: 少年時代の夜叉丸は、この「一撃で宇宙の理を体現するような完結した美しさ」に打ちのめされました。

2. 伊東一刀斎の「切り落とし」:【無想の剣】

一刀斎が編み出した「切り落とし」は、いわば「鏡のような剣」です。

  • 後の先(ごのせん)の極致: 相手が打ってくる太刀筋に対して、自分の刀を真っ向から、同じ線上でぶつけます。

  • 理合: 相手の刀を「切り落とし」ながら、そのままの勢いで相手の体まで一気に斬り進みます。「防御」と「攻撃」が完全に同時(一拍子)に行われる、一刀流の代名詞的な技です。

  • 夜叉丸の進化: 卜伝の「一ノ太刀」が持つ「一撃必殺」の精神を受け継ぎつつも、より実戦的で、敵の力を利用して斬るという「合理的かつ冷徹な技術」へと昇華させました。

二つの違いをまとめると

特徴 塚原卜伝「一ノ太刀」 伊東一刀斎「切り落とし」
構えの印象 威風堂々とした「天」の構え 相手を誘い、見極める構え
勝機 相手が動く前に勝っている 相手が打ってきた瞬間に勝つ
精神性 宗教的・哲学的な「悟り」 生死の淵での「無想・反射」

剣道に通じる3つのポイント

剣道六段として読んでいて、特に共通点を感じたのは次の三つです。

① 間合いの重要性

一足一刀の間合い。
これは剣道でも最も重要な概念です。

攻めと間合いが崩れた瞬間に勝負が決まります。

② 足さばき

夜叉丸が山を駆け回って足を鍛えたように、剣道でも

  • 送り足
  • 継ぎ足
  • 歩み足
  • 開き足

が基本になります。

足さばきは「剣道は足が8割」と言われるほど重要なことです。

③ 無心の境地

無想剣の

「打つ心なく受ける心なく」

という言葉は、剣道で言われる

無心の打突

と重なります。

技は意識して出すものではなく、自然に繰り出すものなのです。

❓FAQ:よくある質問

剣豪小説として読むだけでも面白い伊東一刀斎ですが、 剣道をしている人なら兵法の考え方が気になるのではないでしょうか。
よく検索されている疑問をまとめました。

Q1.伊東一刀斎とはどんな人物ですか?

伊東一刀斎は戦国時代に活躍したとされる剣豪で一刀流の祖といわれる人物です。
史実には不明な部分も多く多くの伝説が残されています

Q2.伊東一刀斎の無想剣とは何ですか?

無想剣とは打とうとする心も受けようとする心もなく、自然に勝つ境地を表した兵法の概念です。
剣術の究極の境地として描かれています

Q3.伊東一刀斎の小説は面白いですか?

戸部新十郎の伊東一刀斎は剣豪小説として非常に評価が高い作品です。
剣の修行や兵法の考え方が丁寧に描かれているのが特徴です。

Q4.剣道に役立つ内容はありますか

間合いの考え方、足さばき、無心の境地など、現代の剣道にも通じる考え方が多く描かれています。
剣道をしている人にとっても興味深い内容です

Q5.伊東一刀斎と佐々木小次郎は戦ったのですか

史実としてははっきりした記録はありませんが、多くの小説や伝説の中では関係が語られることがあります。

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まとめ|剣の本質を描いた剣豪小説

『伊東一刀斎』は単なる歴史小説ではなく、

剣の本質を描いた作品

だと感じました。

佐々木小次郎との関係など、史実としては不明な部分も多い人物ですが、それがかえって物語に魅力を与えています。

伊東一刀斎強すぎます。

かかってくる敵に対し、いつの間にか剣を抜いて
いつの間にか刀がさやに戻っている。

そして背後でばさりと倒れる。

兵法の世界観は剣道をしている私にとって理解しがたいものもありますが、
彼に切られた人たちは、無念でこそあれ、苦しまなかっただろうと推察できます。

広く名を残している歴史上の人物が、小説に花を持たせています。

剣豪小説として読んでも非常に面白く、さらに剣道をしている人にとっては

兵法の考え方を学べる一冊ではないでしょうか。

七段審査の合格率は約23%。

まだまだ修行の途中ですが、このような剣豪の思想に触れることも、剣の理解を深める一つの方法だと感じています。

剣道をしている方、剣豪小説が好きな方にはぜひ読んでみてほしい作品です。

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