【感想】幻庵(下)百田尚樹 著登場人物が濃い

生活

この本の時代背景は幕末に突入するころなんですね。だから、主人公の幻庵は島原の乱に影響を受けたりもします。アニメでおなじみの『ヒカルの碁』で主人公のヒカルの前に現れた、藤原佐為(ふじわらのさい)は、本因坊秀作だったという設定でした。その本因坊秀作も登場します。実際に、幻庵と対局をしています。幻庵では囲碁の世界で命を削る棋士たちの物語が描かれています。

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【感想】幻庵(下)百田 尚樹 著

 

囲碁だけに生きられた男たちの黄金期が描かれています。

囲碁だけに没頭できた時代のものがたりです。好きなことだけをしていられました。

それを考えれば、幻庵は幸せだったことでしょう。

ライバルを名人にさせないために、弟子を策略の駒にしてしまい死なせてしまったりもします。

数々の後悔が、

世界を大きく見ることにも繋がっていくようです。

 

黒船も来航します。

囲碁だらけの人生で、

晩年も囲碁で自分の人生を振り返ります。

こんな濃い人生を歩いていた人もいるのですね。

 

囲碁をまったく知らない人でも楽しめる作品となっています。

幻庵は恋もしますし、妾を持ったりもします。

そして、その女性も弟子と駆け落ちしてしまうなど、囲碁の話ばかりではありません。

面白すぎます。

 

【感想】幻庵(下)百田尚樹 著登場人物が濃い

 

一生懸命生きる人の周りには、それを支える光輝く人たちがいます。

 

葛飾北斎もとうじょうしました。

天保3年2月に、ふしぎな老人が主人公幻庵が当主を務める井上家にやってきます。

碁を打つところを見たいと。

「まんじ」となのる老人は、実は葛飾北斎だったのでした。

そこで、主人公の幻庵の囲碁を、葛飾北斎

「大海原が荒れるような碁」

と言うのです。

 

異国の船が日本の周りに出没している時代です。

凶作から、

天保の飢饉も体験します。

全国で何十万人という餓死者が出たそうですが、江戸の町は米の価格が急騰したものの、すごく悲惨な目には合わなかったようです。

碁の家元の後援者は大名や旗本あるいは羽振りの良い商家であったため収入は大きく減ることはなかったようです。

後援者がいたから、幻庵たちは囲碁の世界に没頭できたのですね。

 

天保の大飢饉(てんぽうのだいききん)とは、

江戸時代後期の1833年(天保4年)に始まりました。

1835年から1837年にかけて大きく広がった大飢饉です。

 

江戸四大飢饉だと、寛永大飢饉・享保大飢饉・天明大飢饉・天保大飢饉、

江戸三大飢饉だと、享保大飢饉・天明大飢饉・天保大飢饉です。

 

大を付けずに天保の飢饉と言う場合もあります。

 

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弟子の中川と上方に旅に出る

37歳の幻庵は、はじめての旅にでます。

そこで、

商家の旦那風の人が掛け碁に、嵌っているのを助けます。

掛け碁師の一局に、面白い変化を見つけます。

それが、

「井門の非手」となります。

のちに幻庵の名人をかけた戦いで、弟子がそれを使い、名人に迫ります。

 

一緒に旅に出た中川順節(なかがわじゅんせつ)は、

大阪に移り住んで関西碁界発展に尽くします。

江戸でも、親分肌で弟弟子からは慕われていた中川は、

関西でも多くの弟子を育てました。

 

囲碁全盛時代にすべての当主や跡目と戦う

 

ライバル関係にある幻庵と丈和が、名人をかけて凄絶な闘いを繰り返します。

幻庵は、本因坊丈和、本因坊丈策、本因坊秀和、本因坊秀策、本因坊秀甫とすべての当主や跡目と戦いました。

 

秀和の跡目となる安田秀策と数局対局し、その中の1局が「耳赤の一局」として知られています。

安田秀策とは、本因坊秀作

 

幻庵は八段で、秀策四段の頃に、主人公の幻庵は、秀作との対戦中に、

耳が赤くなるほどの苦戦を強いられたのです。

それの一局が「耳赤の一局(みみあかのいっきょく)」と呼ばれる有名な一局なのでした。

その天才棋士が、後の本因坊秀作なのでした。

 

囲碁のアニメ・・・「ヒカルの碁」では、

主人公の進藤ヒカルは、古い碁盤に宿っていた平安時代の天才棋士藤原佐為(ふじわらのさい)の霊に取り憑かれます。

神の一手を極めたい為に、藤原佐為(ふじわらのさい)は成仏できません。

佐為(さい)は、本因坊秀策にも憑りついていたという設定でした。

 

韓国の天才棋士・李昌鎬(イ・チャンホ)は、世界棋戦優勝を重ねた実力保持者です。

彼は、若い頃から秀策の棋譜を熱心に並べては囲碁の精進を重ねていきます。

「私は一生かけても秀策先生には及ばないだろう」

と語っています。

本因坊秀作とも、時には血を吐きながらも、幻庵は戦い抜いています。

 

 

勝海舟も一時は幻庵に弟子入りしていました

 

幼名および通称は麟太郎(りんたろう)であった勝海舟も登場します。

利発で碁の筋も良い貧乏旗本の倅という設定です。碁の才があるのにあまり碁が好きそうには思えないその少年に、

幻庵は、碁よりも別の道の方が鱗太郎には向いていると、
囲碁ではない人生を勧めます。
囲碁はどんなに才能があっても、好きではないとその才能は開花しないようです。

「父が無役というのは言い訳にならぬ。時が来れば、その命を国に懸けるのが武士の生き方であろう。その日のために刻苦勉励(こっくべんれい)して、大いに書を読むがよい」

少年は力強く「はい」と言った。

「これをお前にやろう」

『幻庵(下)』百田尚樹 著 P.306より

 

その時、鱗太郎に渡したのが『孫子』なのでした。

幻庵は幕府の政治に憂いを感じていたようで、外国からの脅威をいち早く感じていたようです。

 

幕府に意見を伝えてしまう幻庵

 

恐くて、意見など出来ない人が多いのではないでしょうか。

それなのに幻庵は、

江戸城火災の後始末で、幕府が諸大名に築城費用を課したとき、

あまり、そのことには関係がないはずなのに、

それはおかしいと感じた幻庵は、

それを諌める上書を提出してしまいます。

お家断絶かと思いきや、

閉門に処せられた後に、処分を解かれます。

そして、

後将軍家慶は諸侯への課金を減じたのでした。

幻庵はそれで世間の賞賛を得ます。

 

 

【感想】幻庵(下)百田尚樹著のまとめ

 

孫子の兵法が裏目に出てしまい名人になれなかったり、病弱な愛弟子を死なせてしまいます。

策略の果てに待っていた、彼の猛省と、囲碁に懸ける意気込みが、どんどん彼を大きくしていきます。そして後世の人々をも魅了する多くの棋譜を残していったのです。

 

 

 

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